心理学の巨人「アドラー・フロイト・ユング」の言葉
アルフレッド・アドラーの言葉
「やる気がなくなったのではない。やる気をなくすという決断を、自分でしただけだ。変われないのではない。変わらないという決断を、自分でしているだけだ。」
全ての決断は自分がしているのですね。
「楽観的であれ。過去を悔むのではなく、未来を不安視するのでもなく、今現在の、「ここ」だけを見るのだ。」
過ぎた時間は戻らないから、これからどうなるか分からないから、連続する今が大切なのですね。
自分のことばかり考えてはいないだろうか?奪う人、支配する人、逃げる人、これらの人は幸せになることができないだろう。
自分のことばかり考えている人は、自分を基準に他人をみているのですね。
誰かが始めなければならない。見返りが一切なくても、誰も認めてくれなくても、あなたから始めるのだ。
始めの一歩を踏み出すのに、他人の目を気にしなくてもいいということですね。

心理学者で社会理論家の精神科医、アルフレッド・アドラーが生前にが残した言葉には現代でも通用する言葉が数多く残されています。
「アルフレッド・アドラー」は「フロイト」や「ユング」のいるグループに属し共に研究していましたが、「原因論」を唱えたフロイトに対し「目的論」を唱えたアドラーは完全にフロイトと決別し、アドラーは個人心理学を創始しました。
この個人心理学のことをアドラー心理学ともいいます。
ジークムント・フロイトの言葉
文明は、怒った人間が岩の代わりに、言葉を投げつけたときに初めて始まったのだ。
怒りは人と人を引き離す感情、言葉は意味ある表現、怒りの感情が怒りの表現に変わった。そして文明は生まれたのですね。
自ら進んで求めた孤独や他者からの分離は、人間関係から生ずる苦悩に対して、もっとも手近な防衛となるものである。
全ての苦悩は人間関係にあります。苦悩から逃れるために心を閉ざすことは、一時的に人でなくなるということですね。
人生の目的に対する疑問点は無限といってよいほどにしばしば提出されてきているが、ついぞ満足できるような答えが与えられたことはない。また、そのような答えはおそらく決して許されないものなのだろう。
人生の目的、そのようなものはない。誰かが答えをだしても間違いだろう。人生の目的、それは他者を喜ばせることを考え実行することだ。
言葉で諦める者は、現実でも諦めるものだ。
ときには引き際が大切なこともある。でも、出だしから諦める人は次も出だしから諦めるのでしょう。

精神科医のジークムント・フロイトは精神分析学の創設者であり精神分析の研究本「夢判断」で知られる人物です。
フロイトを師とするグループには心理学の巨人と言われる「アドラー」「フロイト」「ユング」の3人がいます。3人は個々に独自性の強い理論を打ち立てました。
それぞれ独自性の強い理論を立ち上げたことでも分かるように、3人の残した言葉にも独自性を感じることが出来ます。
アドラーの言葉には「人は変われる」、フロイトの言葉には「人は変わらない」、ユングの言葉には「人は変わる」をテーマにした言葉が多く感じられます。
カール・グスタフ・ユングの言葉
各人はみな基準からはみ出している。
自分を基準に他人を捌いてはいけないんだ。人によって基準は違うのだから。
二つの人格が出会う事は、二つの化学物質の接触に似ている。
もし何か反応が起これば、両者とも変溶する。
結婚は人格を変えるかも知れないということでいいですか。どちらかが変われば両者ともに。
我々は人生においてしばしば、さまざまな姿に変装した
自分の分身と出会う。
人は理想を追い求め、そして現実には達成できない自分と空想の中で出会うのでしょう。
控えめな人にとって、攻撃的なところはその人の影になっている。しかし攻撃的な生き方をしている人にとっては、控えめなところがその人の影になる。
人は誰も攻撃性と防御性を持っています。ただ表に出ている部分が違うだけで、どちらも凶暴性と柔和性があります。「あんなに優しい人がなぜ」、「あんなに怖そうな人がなぜ」、どちらも同じ人間だから。

精神科医で心理学者のカール・グスタフ・ユングは心理学の巨人と言われる人物です。
ある仕事で偶然フロイトの書いた「夢判断」のレポートを書くことになります。その後ユングはフロイトのグループに入り臨床心理に置いてユングは夢分析を重視していくことになります。
しかしフロイトとの論理的違いからグループを離れ一人研究を進めることになりました。
3人の文豪の言葉

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