文豪・太宰治の言葉

一日一日を、

たっぷりと生きて行くより他は無い。

明日のことを思い煩うな。

明日は明日みずから思い煩わん。

きょう一日を、

よろこび、努め、

人には優しくして暮したい。

太宰治

今日一日を喜びに努め、明日は明日の風が吹くと言ったところですか。

大切なのは今ですね。

私はなんにも知りません。

しかし、

伸びて行く方向に陽が当たるようです。

太宰治

伸びていく方向とは前向きな人のことでしょうか、私はなんにも知りませんとは、なぜそうなるのか分からないということでしょうか。

それとも事が上手く運んでいるときは次から次へと上手くいくと言うことでしょうか。そしてなぜそうなるのか私には分からないと言うことでしょうか。

感覚的ではありますが確かに前向きな人の方に陽が当たるように感じます。そしてなぜそうなるのかは理解できません。

世の中にはネガティブな人とポジティブな人がいます。そしてネガティブな時とポジティブな時があります。

事が上手く運ぶのは前向きな人かポジティブな時ですね。

人生の成功者に前向きな人が多いことでも分かるように、前向きな人には陽が当たるみたいです。そしてその理由は分からないということですね。

私は思うのです。ネガティブな人はそのネガティブなところを愛しているのだと、むりに陽に向かう必要などないのだと。

疑いながら、ためしに右へ曲るのも、信じて断乎として右へ曲るのも、その運命は同じ事です。どっちにしたって引き返すことは出来ないんだ。
by太宰治

本当の気品というものは、

真黒いどっしりした大きい岩に白菊一輪だ。

太宰治

どことなく感じられる面白みや味わいを気品といいます。

真っ黒い大きな岩に一点の白菊、異彩を放ちひときわ目立つ存在です。これを紅一点といいますね。

貴方の言いたいことはそういうことではなく、本当の気品とはそれを引き立たせる何か別なものがあって成立するという事でしょうか。

白菊一輪も場所を変えれば何の気品もない。真黒いどっしりとした大きい岩に一輪だけあるから気品を感じられるということでいいですか。

黒い大きな岩に一輪だけ咲いているから面白みや味わいがあるということですね。

貴方の言いたいことはおそらく単独で気品を放つものなどどこにもない。まわりに何があるか、真黒いどっしりとした岩があるから白菊一輪に気品を感じることができる。

大切なのは白菊一輪も真黒いどっしりした岩も、双方があってはじめて気品を放つことが出来るということでしょう。

人なら独りでいて気品を放つ人などどこにもいない。まわりに誰がいるか、まるで結婚式の披露宴で新婦が強烈な気品を放つように。

ぽかんと花を眺めながら、人間も、本当によいところがある、と思った。
花の美しさを見つけたのは人間だし、花を愛するのも人間だもの。

by太宰治

笑われて、笑われて、つよくなる。

太宰治

この言葉を聞いて田中角栄の言葉「踏まれても踏まれてもついていきます下駄の雪」や、都都逸の一節「踏まれても蹴られてもついていきます下駄の雪」という言葉を思い出しました。

馬鹿にされようが踏みにじられようが生きていかなくてはいけない。他人の行動や言動をいちいち気にしていたのでは切がない。

笑われようが、嘲られようが我慢した方がいい。

笑われて、笑われて、つよくなる。

我慢して、我慢して、つよくなる。

耐え、忍ぶことを人は揺るがない心と呼ぶ。

人は人に影響を与えることもできず、また人から影響を受けることもできない。
by太宰治


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太宰治

太宰治の言葉には「人は人」をテーマにした言葉が多く感じられました。その中から「おしゃる通り」と思えた言葉と「私にはそうは思えません」と感じた言葉の感想を書いてます。