どうせ生きているからには、苦しいのはあたり前だと思え。
あたり前とは疑う余地がないことですね。生きていることが苦しいのは当たり前ではなく、龍之介さんは本当に苦しいとき、それがどうしたと思え、その「思え」が大切だと言いたかったのではないでしょうか。
我々はしたいことの出来るものではない。ただ、出来ることをするものである。
多くの人は自分の望む道を歩んでいないのでしょう。ただ目の前の課題、やるべきことを熟しながら日々を送っているのでしょう。
太宰治の言葉を借りれば本能のままにしたいことをしていたのでは「人間失格」です。でも、「したいことの出来るものではない」は、少し言葉がきついような気がします。「我々はしたいことを望むものである。」ではだめでしょうか。
「ただ、出来ることをするものである。」おっしゃる通りだと思います。
人生なら生まれながらにして家庭を選べるわけもなく、最高の生き方がどんな生き方かわかるわけもなく、日々できることを熟すだけです。
仕事ならしたいことをしている方が楽でも、社会全体のためには自分のやりたいことではなく自分の出来ることを全うした方がよいのでしょう。それが地域社会の役に立つのですね。
「我々はしたいことの出来るものではない。」社会全体を考えなさいという表現を龍之介さんらしい皮肉めいた言葉で綴る名言だと私は感じました。
アルフレッド・アドラーの言葉を借りれば、「判断に迷った時は、より大きな集団の利益を優先することだ。自分より仲間たち。仲間たちより社会全体。そうすれば判断を間違えることはないだろう。」
自分のしたいことではなく、するべきことをするということでいいですね。
個人の幸せを重視にするのではなく全体の幸せを考てえ行動しなさいと言うことでしょう。
マザーテレサがノーベル平和賞を取った時、ある新聞記者に「私も世界平和のために何かしたい。」と尋ねられ、テレサは「今晩家に帰ったら家族を大切にしてあげてください。」と答えたそうです。
芥川龍之介さん。「出来ることをするものである。」それが大切ですね。
物質的欲望を減ずることは必ずしも平和をもたらさない。我々は平和を得るためには精神的欲望も減じなければならぬ。
ここでいう物質的欲望とは金銭慾のことですね。
そして精神的欲望とは肉体的欲望で間違いないですか。
ようするに異性に対し金が無くても愛があるからでは必ずしも平和をもたらさない。良き家庭を得るには結婚前の一時の肉体的欲望を抑えなくてはいけないということですね。
阿呆はいつも彼以外のものを阿呆であると信じている。
阿呆すなわち愚かな人は自分以外は全て愚か者だと信じているのですね。おっしゃる通りだと存じます。
他人を馬鹿にする人は相手を馬鹿にすることで自分の価値を高めようとします。私の職場にもいますよ。他人を馬鹿にして悪口ばかり言ってる人。そういう人のことを阿呆というのですね。
仕事は自分でやった方が正確で早いとか言いながら部下を育てる能力が全くなかったり、上司にそれとなく気づかせる能力に欠けていたりする人。
阿呆はいつも彼以外のものを阿呆であると信じているのですから、仕方ありませんね。
仕事で相手より自分の方が作業が出来ると思っている人は、本当に相手より作業ができるのでしょう。でも全ての人が同じように作業が出来たら誰も引き立ちませんよ。
愚かな人、無知な人がいてくれるからそうでない人が引き立つのです。学校のテストで全ての人が満点だったら誰も引き立たないのと同じです。
阿呆でない人は決して他人を馬鹿にしたり阿呆にしたりしないものです。ことわざに「阿呆に付ける薬無し」、「阿呆と剃刀は使いようで切れる」などがあります。
阿呆は治らないのだから上手に使うのがいいでしょう。(多分無理)
強者は道徳を蹂躙するであろう。弱者はまた道徳に愛撫されるであろう。道徳の迫害を受けるものはつねに強弱の中間者である。
会社なら自惚れた強者は道徳が薄く、働く者の権利を踏みにじり侵害していることに気付かないのでしょう。
弱者は強者に対し何も言えず、弱者どうし愚痴を言い合うことに心の拠り所を求めているのだろう。
自惚れた強者に対し自分の言いたいことを抑えることの出来ないものは、常に自惚れた強者からの侵害を受けることになるのだろう。
幸福とは幸福を問題にしない時をいう。
欲求が満たされた状態を幸福といいますね。
人間は数時間ごとに食欲や排泄などの欲求が訪れます。そして食べることや排泄をすることでその欲求は満たされます。これに幸福感を感じる人は少ないでしょう。
幸福を問題にしないとはこういうことですか。
人は誰も望む者ですよね。望みがある限りそこに欲求があり希望があります。それを問題にしない時って寝ているときか何かに夢中になているときぐらいです。
「幸福とは幸福を問題にしない時」とは寝ている時か何かに夢中になっている時のことですか。
絶対に開けてはいけない全ての災の入った箱パンドラの箱を開けてしまい、最後に残ったのは希望だけという話があります。
幸福になりたいという希望があるかぎり絶対に幸福にはなれない。その幸福になりたいという希望すら気にしていない時を幸福というのでしょう。
人生を幸福にするためには、日常の瑣事を愛さなければならぬ。
なんて素敵な言葉何でしょう。おっしゃる通りだと存じます。
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芥川龍之介の言葉には「愚か」をテーマにした言葉が多く感じられました。その中から「おしゃる通り」と思えた言葉と「私にはそうは思えません」と感じた言葉の感想を書いてみました。
最後までお読みいただきありがとうございました。