アルフレッド・アドラーの言葉

やる気がなくなったのではない。やる気をなくすという決断を自分でしただけだ。変われないのではない。変わらないという決断を自分でしているだけだ。

おっしゃる通りだと思います。

やる気をなくす原因はあっても、それでやる気をなくすのは個人の自由です。

どんなことでもそうだけど、結局自分で決めているのかな。

会社の上司になにか嫌なことを頼まれても、殆どのことは「やる」という決断になりそうですが、別に「やらない」という決断をしてもいいんですね。

その決断が招く結末を踏まえての判断になりますけど。

アドラーさん。
今の状況を変えようと思っていても変えれない人は、本当に変えれないのではなくて、変えるという決断をしていないのですね。

会社の不満やパートナーの不満をいくら言ってみたところで何も変わらないことは分かっています。

自分が変われば会社の見え方も変わるかもしれないし、パートナーのいいところにも気づけるかも知れないってことですか。

自分が変わらずに会社の姿勢やパートナーの態度が変わることを期待してしも多分むり。

だけど自分が変わることは、今までの自分を自分で否定することと同じですね。

「やる気がなくなったのではない。やる気をなくすという決断を自分でしただけだ。変われないのではない。変わらないという決断を自分でしているだけだ。」

そうかも知れないけど、やる気のないときにやる気をだしたり、今までやって来たことを変えたりすることって、なんだか難しそうです。

楽観的であれ。過去を悔むのではなく、未来を不安視するのでもなく、今現在の「ここ」だけを見るのだ。

過去を悔まず未来を不安視せずに現在に励めということでいいですか、ここで大切なのは楽天的ではなく楽観的であれというところではないでしょうか、楽天的では過去のことも未来のこともどうでもいいってことになりますからね。

楽観的は上手くいくと考えることですね。

他者は私を援助してくれる。私は他者に貢献できる。私は仲間の一員である。この感覚がすべての困難からあなたを開放するだろう。

人は助け合うことに喜びと幸せを感じる生き物ですね。

自分のことばかり考えてはいないだろうか?奪う人、支配する人、逃げる人、これらの人は幸せになることができないだろう。

奪う人って要するに自分では何もしないで人任せにする人の事ですか、確かにいますね。

自分では何もしないのに他人が自分の為に何かしてくれることを当たり前と思い、決して何かしてもらっても感謝しない人。

それどころか他人が自分の為に何かしてくれることを当然と思い、自分に何もしてくれない人に腹を立て怒る人、いったい何様のつもりなんだろうと思える人っていますよね。

支配する人って自分が他人よりも優れていると自惚れている人のことですか。

会社の経営者や高い役職にありがちなタイプですね。

分かる分かる。分かりますよアドラーさん。
会社なら「お客様のため」「地域社会に貢献するため」「働く仲間のため」「会社の成長のため」なんて慈善ごとを言っても、結局は自分の地位を維持、もしくは上にいくために他人を支配しようとする人、目的が会社をよくすることでなく自分の支配力の為なのだから、罵声と威嚇で相手を支配しようとするのも当然ですね。

同じ意味のことを言っても罵声になるような人は0点です。

早く見切りをつけるのが支配されないための得策かもしれませんね。

アドラーさん。
対人関係から逃げる人はどうにもなりませんか。

「甘やかされた人は」「甘やかした人に」依存することは感覚的にわかりそうなものなのに、我が子を甘やかす親に幼少期に甘やかされて育てられた子は、その不幸を一生背負はなくてはいけないのですか?

可愛がってもらたり優しく接してもらえればよかったのに、甘やかされて育てられたのでは精神科医にでも頼らなければなすすべ無って感じですか?

僕は個人的に逃げてもいいと思っていますよアドラーさん。

アドラーさん、あなたの言葉を借りれば全ての悩みは対人関係にあるのですね。

その悩み苦しみを一時的に断ち切り時間を稼ぐことはありだと思います。

アドラーさんは逃げる人は幸せになれないと言いましたが、幸せをつかむために「時間を稼ぐ」「時間を稼ぐために逃げる。」それもありだと僕は思います。

あなたのために他人がいるわけではない。「〇〇してくれない」という悩みは自分のことしか考えていない何よりの証拠である。

おっしゃる通りだと思います。

あれをしてくれない。これもしてくれない。何もしてくれない。他者にこれらを望むことは自分のことしか考えていない何よりの証拠ですね。

貴方のために他者がいるのではないのですから。

会社にもいますよ、気が利かない人、そう思う自分が恥ずかしいです。

誰かが始めなければならない。見返りが一切なくても、誰も認めてくれなくても、あなたから始めるのだ。

アドラーさん。こういうことですか。
誰も見ていない所で目の前に落ちているゴミを無視するのではなく、誰も拾わないそのゴミを自分が拾えばいいのですね。

この行動には何の見返りもないですね。

誰も見ていなくても掃除をすることが仕事なら、綺麗にしなくては仕事内容を認めてもらえないし給料にも影響するかもしれません。

これは仕事だからですか。

見返りを求めること、誰かに認めてもらうことはいけないことでしょうか。

私のいる会社にいますよ、誰かが見ているときはゴミを拾うのに誰も見ていないと無視する人。

これは自分の事しか考えられない人のことですね。

誰かが始めなければならない。見返りが一切なくても、誰も認めてくれなくても、あなたから始めるのだ。

アドラーさんは見返りを求めることや他人に認めてもらうことが悪いことだと言っているのではないですよね。

「誰かが始めなければならない。あなたから始めるのだ。」そういいたいのですね。

叱られたり、ほめられたりして育った人は、叱られたり、ほめられたりしないと行動をしなくなる。そして、評価してくれない相手を敵だと思うようになるのだ。

他人に何か嫌なことを言われるのが怖い人、誰かに認めてもらうために行動する人、ようするに自分より強い相手に媚びる人ですね。

そして、自分を認めてもくれない相手を嫌うようになるのでしょう。なぜならその人の人生は他人に認めてもらうことが目的だから、媚びる相手の線上にあるから。

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アルフレッド・アドラー
画像・アルフレッド・アドラー

アドラーの言葉には「人は変われる」をテーマにした言葉が多く感じられました。その中から「おしゃる通り」と思えた言葉と「私はそうは思えません」と感じた言葉の感想を書いてみました。

最後までお読みくださりありがとうございました。

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